なぜ、やり方を教えてもらってもうまくいかないのか。教える人が経験で身につけたこと、つまりその人にとっての当たり前が、やり方の中に入っていないからです。省かれるのはわざとではありません。知っている側は、当たり前すぎて教えることを忘れるのです。だから、その欠けは、できないところを直接見てもらって、初めて埋まります。
この記事では、Xに書いた投稿の全文、やり方に入っていないものとは何か、それが省かれてしまう理由、直接見てもらうと埋まる理由、我流で埋めようとしたときにかかる時間、そして教わる前に用意しておくことを、順番に書きます。
先日、私はXにこう書きました——やり方を教えてもうまくいかない理由

先日、私はXに、次の文章を書きました。そのまま載せます。
なぜ、やり方を教えてもうまくいかないのか
理由は簡単で、やり方全てを教えてもらえているわけではないからです。
やり方を教えてもらうとできそうな気持ちになります。
お金を投資できない人は尚更自分でやろうとします。
しかし、やり方からは、人それぞれが経験したことは除外されています。
知っていることまで丁寧に説明しないからです。
うまくいっている人にとっては当たり前でも、教えてもらう側は当たり前ではないことがほとんどです。
ここを省かれると、うまくいきません。
もちろん、わざとやっているわけではありません。
知っている側にとっては当たり前なので教えることを忘れてしまうからです。
もちろん、教えてもらう側が聞けば教えてもらえます。
しかし、教える側が疑問に思わないことをわざわざ教えません。
これがやり方を教えてもらってもできない理由です。
では、どうしたらうまくいくのかというと、これは直接マンツーマンで指導してもらうしかありません。
マンツーマンで指導してもらうと、一つ一つできないところを直していきます。
その中で、教える側が当たり前と思っていることでもできなければ教えてもらえます。
こうすることでコーチやメンターと同じことができるようになっていくのです。
この技術を直接教えてもらえない限り、動画を見て勉強しただけでは難しいです。
だから、とても価値が高い内容になっているわけです。
我流でやろうとすると3年、5年かかるところを直接指導してもらえれば、1年未満に短縮できることがほとんどです。
時間をお金で買う考え方を理解しないと勿体無い、損したという感情になりますが、人生限られた時間しかありません。
お金はいくらでも取り戻せるけれど、時間は戻ってきません。
このことを理解しているからこそ、時間をお金で買う人が多いのです。
ビジネスをうまく活かしたいなら、このことを理解してくださいね。
この投稿を、順番にほどいていきます。先に書いておくと、これは教える人を責める話でも、教わる人を責める話でもありません。省かれるのはわざとではありませんし、自分でやろうとするのも自然なことです。
やり方を教えてもらうと、手順が見えます。手順が見えると、「これならできそうだ」と感じます。投稿の3行目に書いた「やり方を教えてもらうとできそうな気持ちになります」は、この状態のことです。できそうだと感じたら、まず自分でやってみようと思うのは、ごく自然なことです。問題は、その気持ちではありません。受け取ったやり方の中に、最初から入っていないものがある、ということです。この記事は、その「入っていないもの」の話です。
「やり方を全部教えてもらった」は、起きない——教える人の当たり前は、やり方の中に入っていない

投稿の2行目に、私は理由を「やり方全てを教えてもらえているわけではないからです」と書きました。教える側が出し惜しみをしている、という意味ではありません。教える側が全部を渡すつもりでいても、全部は渡らないのです。
なぜ全部は渡らないのか。やり方とは何かを、はっきりさせておきます。
やり方とは、教える人が言葉にできた部分だけです。
教える人がうまくいくまでにやってきたことには、二つの部分があります。一つは、言葉にできる部分です。何を、どの順番でやるか。手順として書けるところです。もう一つは、経験で身についた部分です。何度もやるうちに、考えなくてもできるようになったこと。こちらは、本人にとっては当たり前になっているので、言葉にされません。
投稿では、このことを「やり方からは、人それぞれが経験したことは除外されています」と書きました。そして、その理由を「知っていることまで丁寧に説明しないからです」と続けました。
たとえば、ある人が、発信の文章の書き方を教えるとします。書き出しで何を書き、真ん中で何を伝え、最後に何をお願いするか。この流れは、言葉にして渡せます。けれど、その人が書き始める前に、読んでほしい一人の顔を思い浮かべている、ということは、たいてい手順に書かれていません。本人は、そうしていることにさえ気づいていないかもしれません。何度も書いているうちに、自然にそうなっただけだからです。
教わる側は、書かれた流れのとおりに文章を書きます。順番は合っています。それなのに、誰に向けた文章なのかがぼやけて、反応が返ってこない。流れのとおりにやったのに、なぜかうまくいかない。この「なぜか」の正体が、省かれた当たり前です。
投稿の7行目には、「うまくいっている人にとっては当たり前でも、教えてもらう側は当たり前ではないことがほとんどです」と書きました。そして、「ここを省かれると、うまくいきません」と続けました。
お金を払わないと手に入らない情報については、なぜ、タダで手に入る情報に価値がないのか(記事025)で書きました。その記事では、お金を払わないと手に入らない情報の1つ目に、経験を挙げています。ここでは繰り返しません。この記事で書き足したいのは、その経験は、教える側でさえ全部は言葉にできない、ということです。お金を払って教わっても、やり方として渡ってくるのは、言葉にできた部分だけです。
省かれるのは、わざとではない——知っている側は、教えることを忘れる

投稿では、続けてこう書きました。「もちろん、わざとやっているわけではありません」。理由は、「知っている側にとっては当たり前なので教えることを忘れてしまうからです」。
ここは大事なところなので、少していねいに書きます。教える人は、隠しているのではありません。忘れているのです。もっと正確に言えば、教えるべきことだと気づいていません。毎回考えずにやっていることは、本人の中で、やり方の一部として数えられていないからです。
古い家の引き戸を思い浮かべてみてください。少し持ち上げてから引かないと、途中で引っかかって開かない戸があります。その家に住んでいる家族は、毎日それをやっています。続けているうちに、持ち上げていることすら意識しなくなります。だから、初めて来たお客様に「戸は少し持ち上げてから引いてね」と言うのを、忘れてしまいます。意地悪をしているわけではありません。家族にとっては、それが戸の開け方そのものだからです。
やり方を教えるときも、同じことが起きています。
投稿には、「もちろん、教えてもらう側が聞けば教えてもらえます」とも書きました。ところが、次の行では「しかし、教える側が疑問に思わないことをわざわざ教えません」と続けました。
聞けば教えてもらえる。それなら、聞けばいいと思うかもしれません。けれど、教わる側は、何を聞けばいいのかが分かりません。引き戸のことを知らないお客様は、「この戸は持ち上げるのですか」とは聞けません。聞けるのは、戸が開かなかったときです。当たり前は、できなかったときに初めて見えます。
並べると、次のようになります。
| 教える側に見えているもの | 教わる側に見えているもの | その間で起きること |
|---|---|---|
| 手順(言葉にできた部分) | 手順(教わったとおりのもの) | 同じ手順が、そのまま渡る |
| 手順の途中で、考えずにやっていること | 書かれた手順だけ | 当たり前が、言葉にされないまま省かれる |
| 疑問に思うところがない(当たり前だから) | 何を聞けばいいかが分からない(知らないから) | どちらも口にしないので、欠けが残る |
表の3行目が、投稿の13行目に書いた「これがやり方を教えてもらってもできない理由です」の中身です。教える側は疑問に思わないので教えず、教わる側は知らないので聞けない。どちらも悪くないのに、欠けだけが残ります。
教えた人と自分とでは条件が違う、という話は、なぜ、高額商品を買っても結果が出ないのか——教えた人と自分とでは、条件が3つ違う(記事047)で書きました。その記事では、違うのは時間軸・行動量・やれている精度の3つだ、と書いています。ここでは繰り返しません。あの記事が教えた人と自分の条件の違いの話だとすれば、この記事は、やり方そのものに入っていないもの、という別の欠けの話です。
省かれた当たり前は、できないところを直接見てもらって初めて埋まる

では、どうすれば埋まるのか。投稿では、直接指導してもらうことを挙げました。そうすると、「一つ一つできないところを直していきます」。そして、「その中で、教える側が当たり前と思っていることでもできなければ教えてもらえます」と書きました。
ここで起きていることは、引き戸の場面と同じです。お客様が戸の前で引っかかっているのを、家族が横で見ます。その瞬間に、「あ、それは少し持ち上げるんだよ」と気づきます。家族は、お客様が困っている姿を見て、初めて自分の当たり前を思い出すのです。
教わるときも、できないところをその場で見てもらうと、教える側が気づきます。「そこで止まるのか」「それは言っていなかった」と。教わる側が質問を考えなくても、止まっている姿そのものが、質問の代わりになります。省かれた当たり前は、教える側が、教わる側のできない場面を見たときに、ようやく言葉になります。
投稿には、「この技術を直接教えてもらえない限り、動画を見て勉強しただけでは難しいです」とも書きました。動画やテキストが悪いのではありません。動画やテキストには、言葉にできた部分が、きちんと入っています。ただ、動画は、見ている人がどこで止まったかを見ることができません。だから、省かれた部分は、省かれたまま残ります。
言葉にできた部分は、動画でもテキストでも渡ります。言葉にされなかった部分は、できない場面を見た人だけが気づけます。違いは、この一点です。
私は個別相談800人超、セッション6,000時間超を重ねてきました。その間も、当たり前は、できない場面を前にして初めて見える、という見方は変わっていません。私自身も、できないところを直接見てもらって埋めてきました。
投稿の17行目には、「こうすることでコーチやメンターと同じことができるようになっていくのです」と書きました。同じことができるようになるのは、やり方を覚えたからだけではありません。省かれていた当たり前が、一つずつ埋まっていくからです。
大勢に同じ内容を教える形と、個別に直してもらう形の違いは、なぜ、高額塾に自己投資してもうまくいかないのか——理解できないところを、個別に直してもらえないから(記事036)で書きました。その記事では、全員に同じことを教える形では理解できないところが残るので、できないところをその場で個別に直してもらうことだ、と書いています。ここでは繰り返しません。この記事で書き足したいのは、直接見てもらうと、教わる側だけでなく、教える側も自分の当たり前に気づく、という一点です。
我流で埋めようとすると、時間がかかる——時間をお金で買うという考え方

省かれた当たり前は、自分ひとりで埋めることもできます。何度もやってみるうちに、経験で身についていくからです。教える人も、もともとはそうやって身につけてきました。
ただ、時間がかかります。投稿では、我流でやろうとした場合と、直接指導してもらった場合とで、かかる時間がどれだけ違うかを書きました。直接見てもらえれば、その時間は大きく縮みます。
なぜ、我流だと時間がかかるのか。我流で埋めるときには、次の3つの段階を、自分ひとりで通ることになるからです。
- やってみて止まる(教わったとおりにやったのに、どこかでうまくいかない)
- 何が足りないかを、自分で探す(手順の中には答えがないので、手順の外を探す)
- 見つかったとしても、それが正しいかが分からない(確かめてくれる人がいない)
1つ目は、誰でも通ります。直接教わっていても、止まるところでは止まります。違いが出るのは、2つ目からです。
2つ目で探すのは、手順に書かれていないものです。書かれていないものは、書かれたものをいくら読み返しても出てきません。手順の外にあるものを、手がかりなしで探すことになります。
3つ目は、見つけたものが本当に省かれていた当たり前なのか、それとも別の思い込みなのかを、自分では区別できないことです。区別できないまま進めば、また別のところで止まります。止まるたびに、1つ目に戻ります。この3つを何度も回るうちに、時間が過ぎていきます。
我流で始めることについては、なぜ、コーチ・コンサルがうまくいかないのか——悩みを解決するだけでは成り立たない時代に、我流で始めているから(記事039)で書きました。その記事では、問題は我流そのものではなく、うまくいったときも、うまくいかなかったときも、なぜなのかが分からないまま続けてしまうことだ、と書いています。ここでは繰り返しません。この記事の言葉で言えば、我流とは、省かれた当たり前を、自分ひとりで探す時間のことです。
2019年に書いたノウハウよりも誰に教わるかという記事で、私はこう書きました。「結果が出ている人に教わったほうが結果が出るのは当然です。」その記事では、ビジネスのスキルを学ぶことが、誰に教わるか、ということだと書いています。結果が出ている人は、経験で身につけた当たり前を、それだけ持っている人でもあります。その人に、できないところを見てもらえば、自分ひとりで探す時間を短くできます。
投稿の後半には、「時間をお金で買う考え方を理解しないと勿体無い、損したという感情になりますが」と書きました。お金を払って教わったのに、思ったほど新しいことを教わらなかった。そう感じると、損をした気持ちになります。けれど、払ったものは、教わる中身の代わりだけではありません。省かれた当たり前を、自分ひとりで探す時間を短くするためにも払っています。
そして、「お金はいくらでも取り戻せるけれど、時間は戻ってきません」と続けました。ここが、時間をお金で買う、という考え方の芯です。
ただ、お金をかけられない時期もあります。そのときに自分で埋めようとするのは、自然なことです。時間で埋める、という選択もあります。そのときは、時間がかかることを先に織り込んでおくことです。そうすれば、止まったときに、自分が悪いのだと思わずに済みます。
教わる前に決めておくこと——何を聞くか、誰に見てもらうか

投稿の最後は、「ビジネスをうまく活かしたいなら、このことを理解してくださいね」で終えました。理解する、というのは、やり方には最初から入っていないものがある、と知ったうえで教わることです。
そう知っていれば、教わる前にできることがあります。次の3つを用意しておいてください。
- 自分でやってみて止まったところを、書き出しておく
- 止まったところで、「それは、いつも当たり前にやっていることですか」と聞く
- できないところを見てもらえる形を選ぶ
1つ目は、聞く材料を作ることです。当たり前は、できなかったときに初めて見えるのでした。だから、教わる前に一度自分でやって、どの手順の、どのあたりで止まったかを書いておきます。止まった場所が、そのまま聞くことになります。
2つ目は、教える側の当たり前を、言葉にしてもらう聞き方です。「どうすればいいですか」と聞くと、教える側は、もう教えた手順をもう一度説明します。「その手順のとき、ほかに当たり前にやっていることはありますか」と聞くと、教える側は、自分の手元を振り返ります。そこで初めて、「そういえば」と出てくるものがあります。
3つ目は、教わり方を選ぶことです。言葉にできた部分を受け取るだけなら、動画やテキストでも足ります。省かれた部分まで埋めたいなら、自分ができない場面を、誰かに見てもらえる形が要ります。
誰に見てもらうかについては、なぜ、コーチは在り方が大事なのか——何を最優先にしているかは、教わる中身より先に伝わる(記事049)で書きました。その記事では、教える人が何を最優先にしているか、つまり在り方は、教わる中身より先に伝わる、と書いています。ここでは繰り返しません。あの記事が教える人の側の話だとすれば、この記事は、教わる中身の側の話です。中身には、言葉にできた部分と、省かれた当たり前がある。その両方を受け取れる教わり方を、先に決めておくことです。
よくある質問
動画やテキストの教材は、無駄なのですか。
無駄ではありません。言葉にできた部分は、動画やテキストできちんと手に入ります。手順を先に知っておけば、自分でやってみて止まるところも、早く見つかります。省かれた部分は、それとは別に埋める、と考えてください。
教える側から「当たり前」を聞き出すコツはありますか。
自分がやってみて止まったところを持っていくことです。そのうえで、「なぜ、そうするのですか」と聞いてみてください。手順の理由を聞かれると、教える側は、自分がふだん何を見て決めているかを振り返ります。その中に、言葉にされていなかった当たり前が出てきます。
お金をかけられないときは、どうすればいいですか。
自分で埋める選択もあります。それは悪いことではありません。そのときは、時間がかかることを先に織り込んでおくことです。止まったところを書き留めておけば、後で直接見てもらう機会ができたときに、そのまま聞く材料になります。
一度教わったのに、まだできないのはなぜですか。
省かれた当たり前が、まだ残っている印です。一度で全部が埋まるとは限りません。できないところが分かったということは、次に見てもらう場所が決まった、ということです。努力が足りないのではなく、やり方に入っていなかったものが、一つ見えただけです。
やり方とは、教える人が言葉にできた部分だけです。教える人が経験で身につけた当たり前は、やり方の中に入っていません。省かれるのはわざとではなく、知っている側は当たり前すぎて教えることを忘れ、教わる側は何を聞けばいいかが分かりません。当たり前は、できなかったときに初めて見えます。だから、できないところを直接見てもらって、初めて埋まります。我流で埋めることもできますが、時間がかかります。お金は取り戻せても、時間は戻ってきません。教わる前に、止まったところを書き出し、当たり前を聞き、見てもらえる形を選んでおくことです。私の考え方の全体像は、マインドコーチとしてのコーチングの考え方にまとめています。
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